フジタ没後50年、フランク・シャーマン生誕100年
秘蔵資料から明かされる真実。
『なぜ日本はフジタを捨てたのか? 』
— 藤田嗣治とフランク・シャーマン 1945〜1949 —
美術ジャーナリスト・富田芳和著
1991年、ソウルの病院で一人のアメリカ人が前立腺がんのため死去した。
元GHQ美術教育担当官のフランク・シャーマン。
死の数日前、彼は、病床を見守っていた一人の日本人実業家に、生涯をかけて集めた多数の美術品を含むぼう大な資料(シャーマン・コレクション)を託した。
シャーマンとは何者か。
藤田嗣治が1949年に占領下の日本からアメリカに渡るのを助けた米人として、藤田の経歴にわずかに記されることはあるが、そのプロフィールはほとんど知られていない。彼は、戦後美術の現場に寄り添い、多数の文化人の再起を支援するなど大きな足跡を残したが、いまだその事歴は闇に包まれたままである。
北海道伊達市の収蔵庫に眠っていたコレクションを調査することにより、戦後日本美術の空白の時間を埋め、さらに通説をくつがえすような事実が次々に判明する。
なかでも、「フジタの渡米」という戦後美術最大の事件が、「戦犯追求」によるものではないということ、日本画壇が70年後に崩壊する原点になったことなど、未公開の書簡や証言が明らかにしてくれる。
本書は、敗戦直後からフジタ渡米までの5年間に焦点を当て、藤田がただ一人気を許すことのできた友人シャーマンとの交友、GHQ、美術界をめぐる戦後美術の壮絶なドラマを描いたノンフィクションである。
本書が明かす、戦後日本美術の7つの謎
一、戦争画の傑作「アッツ島玉砕」にはもう一つの絵があった。
二、フジタはなぜ“戦犯画家”と言われたのか。
三、なぜフジタは生涯日本を許さなかったのか。
四、アメリカはなぜフジタを受け入れたのか。
五、シャーマンコレクションの全貌とは。
六、フランク・シャーマンはなぜ日本の戦後史から消えたのか?
七、戦後70年、なぜ日本画壇は壊滅したのか?
著者 富田芳和
1954年東京生まれ。『新美術新聞』編集長、『アート・トップ』編集長を歴任し、現在「河村アートプロジェクト」チーフディレクター。著書に『プロジェクト写楽』など。