日本で何をした人か?
日本の敗戦から間もない1945年11月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の情報教育局所属の印刷、出版担当官として東京に赴任したフランク・E・シャーマンは、来日すると、藤田嗣治をはじめ、猪熊弦一郎、脇田和、岡田謙三など多数の日本人芸術家と交流をもちました。経済的・社会的な混乱の渦中にあった日本は、芸術から元気を得たことで、精神的に立ち上がるひとつの力にすることができました。
印刷技術者でもあったシャーマンは、版画が芸術を広く普及させる力をもっていることをよく知っており、日本の芸術家にシルクスクリーン(版画印刷の一種)を伝授しました。1959年まで14年間の日本滞在の間、シャーマンはカメラを常に携行し、芸術家達の姿を撮影しました。その膨大な写真がシャーマンコレクションの中に残されています。
1991年ソウルの病院で、河村泳静(河村アートプロジェクト代表)らに看取られながら73歳の生涯を閉じました。