マッカーサー夫人のクリスマスカードとして作られた、愛すべき2点
「キリスト生誕」と「東方三博士の礼拝」は、コレクター向け作品として制作されたものではなく、GHQのマッカーサー元帥夫人からフランク・シャーマンが頼まれて仲立ちになり、フジタが制作したクリスマスカードでした。 しかし、当時日本が占領下にあったとはいえ、画家と面識のない夫人が、世界的な芸術家に気軽にクリスマスカードを頼めるほど権力があったわけではなく、気乗りしなければ断ることもできました。
ただ、そのころ、フジタには画家人生の危機ともいえる深刻な事情をかかえており、新しい制作の場はもはや海外にしかないと思いつめていました。ところが、当時日本はまだ占領下。日本人の海外渡航は原則禁止されていました。シャーマンは、フジタの日本脱出を成功させるためには、アメリカ軍関係者の理解が必須と考えました。
このクリスマスカードは千載一遇のチャンスになりました。完成作を受け取ったマッカーサー夫人は手をたたいて喜んだと伝えられています。
夫人の友人知人に送られたカードは大評判になりました。「これほどの才知に富んだ芸術家が敗戦国日本にもまだいたんだ」と。著名な画家が制作したマリア像には、十二単の衣装が着せられていました。
1949年3月、シャーマンのさまざまな尽力により、フジタはアメリカに向けて出発することができました。
「キリスト生誕」と「東方三博士の礼拝」は、たんなる機知に富んだイラストレーションではありません。エコール・ド・パリで多くのコレクターを魅了した、フジタの鮮やかで柔軟な線描が、硬い銅板を介して生き生きと蘇っています。そのような稀に見る線の力が、フジタの新しい道を切り開いたと言えるかもしれません。