藤田嗣治とはどんな画家だったか
藤田嗣治は1886年(明治19年)に東京で生まれた画家です。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科を卒業後、1912年にパリに渡りました。モンパルナスに居を構え、モディリアーニ、パスキン、ピカソ、キスリングらと交友を結びました。透明感のある乳白色の画面に日本画の面相筆を使って、女性や人物などを独特の線で描いて名声を博し、エコール・ド・パリの寵児となって経済的にも成功を収めました。
1929年に17年ぶりに帰国し、終世の妻となる君代夫人と結婚しました。軍の依頼で戦争画を描いたことに戦後批判を浴びたことなどから、日本の美術界の息苦しさに見切りをつけ、49年に渡米、のちにフランスに永住しました。以後、パリ郊外の田舎で制作に没頭し、フランスでもっとも有名な日本人画家となりました。68年に81歳の生涯を閉じ、大壁画を描いたランス市のノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂に埋葬されました。