フジタを破滅から救った男フランク・シャーマン
1933年、長い旅から帰国したフジタは、やがて泥沼化していく戦争の時代のなかで、戦争絵画の巨大な画面に取り組むようになります。それらの作品は異様ともいえる迫力によって、見る人をとらえましたが、終戦を迎えると、戦争画の巨匠だったことがアダとなって、軍国主義の協力者であったとみなされ、戦犯容疑までが取りざたされるようになりました。フジタの「戦争画」は70年を経た今日では、芸術作品としての高い評価が与えられるようになりましたが、当時は、日本での生活に絶望するほどの危機感をフジタはもっていました。
そのとき、「世界のために生きる画家として、あなたは日本を離れた方がいい」と勇気付けた一人の友人がいました。 GHQの民政官として来日していたその友人こそ、フランク・シャーマンです。